
刀 無銘 国分寺助国
商品説明
広島県東部、神辺平野北縁の堂々川東岸(現在の広島県福山市神辺町下御領)に、かつて聖武天皇の詔で創建された国分寺がありました。(現在はその法燈を継ぐ寺院として真言宗大覚寺派の「備後国分寺」が同地にございます。)
国分寺の南面には東西に古代山陽道が通り、付近には環頭太刀の出土もあった迫山古墳群が分布し、古くから文化的な中心地でありました。備後地方内陸部の中国山地では古来より鉄が産出され、国分寺付近の備後国北部地方においても糸に代えて鋤・鉄を「調」として納められたという記録が残っています。このように備後国分寺周辺は文化の中心地であり、鉄の生産が主要産業であったことから考えますと、刀造りも盛んであったであろうことは想像に難くありません。
『古今銘尽』では国分寺助国を法華一派の祖とし、三原ものとは別に「備後国葦田郡物」の系図をしめしています。
『光山押形』には元徳元年紀の「備州国分寺住人助国作」、「備後国安那東条助国」という銘の押形が掲載されております。(安那郡東条は現在の福山市神辺町下御領にあたります。)
藤代義雄師は日本刀工事典に「備前一文字末流、備後國に移住し法華派の祖と云う、作品徳治頃より建武に至る」と記しておられます。また元亨三年紀や正中年紀の助国銘の刀が重要刀剣に指定されており、これらのことから助国は鎌倉末期に活躍した備後鍛冶の祖ということがわかります。
助国の作風は、古三原物に似た大和気質の強いものや、備前の雲類を思わすような地斑映りの立つ直刃仕立てのもの、丁子や互の目を交えたやや華やかな乱れ刃などがあるといわれております。
国分寺助国と極められたこの刀は元来二尺五寸ほどの太刀で、反りやや浅く中鋒に結び、磨り上げられてなお伸びやかな輪反りの刀姿をみせています。流れごころの小板目に杢目を交え縮緬状となった地鉄には、地沸つき繊細な地景入り、指の腹で押したような地斑映りに加え、段状の映りが立っています。刃縁に小沸が付いた直ぐ調の刃文は、小乱れ混じり小足・葉入り、特に物打ちあたりには逆がかった刃が混じり、二重刃交え、金線、砂流しかかり、帽子は直ぐに小丸に返っています。
茎に少し荒れが見られますが、上身の出来は青江や雲類を想起させるような、鑑賞者を惹きつける魅力あふれる一振りです。
詳細データ
- 製作国
- 備後 国
- 製作年
- 鎌倉時代末期
- 経年数
- 約700年
- 登録年 / 県
- 昭和62年東京都
- 鑑定書種別
- 特別保存刀剣(日本美術刀剣保存協会)
- 刃長
- 64.0 センチ (二尺一寸一分)
- 反り
- 1.7 センチ (五分六厘)
- 元幅
- 2.8 センチ
- 先幅
- 2.0 センチ
- 棟重ね
- 0.60 センチ
- 鎬重ね
- 0.67 センチ
- 彫刻
- 棒樋掻き流し
- 鎺
- 銀無垢金鍍金二重鎺
- 鞘
- 白鞘入