
縁頭 銘 頭 清真軒(金印) 縁 倣政隨図 一柳友善(花押) 水牛図
商品説明
一柳派は江戸時代後期に数代にわたって活躍した水戸の名門金工一家で本姓平野氏、俗名は各代とも伊左衛門といい、長崎屋を屋号にしました。
この作品は花押から四代友善のものと思われます。四代友善は天明八年(1788)に生まれ、安政五年(1858)に七十一歳で没しています。
友善各代の作はいずれも水戸の気風をそのままに、竜虎などの図柄を主とし、いかにも武張ったものを製作しています。また安親や政随などの名工の図柄に倣ったものも多く、地金は鉄地を多用し次いで赤銅、四分一、真鍮などを用いています。
『刀装小道具講座』には「四代は現存する作品が最も多く、また達者な手腕を発揮している」との記載があり、『日本刀大鑑』によると「友善は三・四代が一番上手」とあり、一柳友善各代の中でも、この四代友善の力量が高く評価されていることがわかります。
水牛は日本には生息していませんが、古くは飛鳥時代に新羅から生きた水牛が献上されたとの記録が日本書紀にあり、室町時代や江戸時代にも国内に持ち込まれた記録があるようです。水牛は普通の牛の二十頭分の力を持つと言われ、また水に強く水田の労働力として十二分に力を発揮することから、特に我が国においては憧憬をもって扱われました。
この縁頭は縁銘にあるとおり、奈良派四天王の一人である名工浜野政随の作品に倣って製作されたものです。
荒い波間を力強く泳ぐ水牛の姿を肉合彫で見事に活写しています。
原作の政随図(※)は流れを渡る水牛の全身を一面に彫り表していますが、この縁頭では頭に悠然と泳ぐ水牛を背後から描き、縁には表と裏に半身ずつ描くことで水牛の躍動感を表すよう構図にアレンジを加え、政随に深い畏敬の念を頂きながらも自らのオリジナリティを出すべく創意を加え腐心したあとが見受けられます。
頭に清真軒という雅号と金印があります。清真軒は水戸の名流赤城軒泰山元孚一門の金工がよく使う号で、金印も元孚以下一門によく用いられます。水戸の名門一柳一門と赤城軒一門の交流をしめす資料的にも誠に貴重な作品です。
(※)「行年六十八 政随」と銘のある赤銅地高彫色絵の水牛図の小柄があります。
詳細データ
- 時代
- 江戸時代後期
- 製作国
- 常陸 国
- 製作手法
- 四分一磨地鋤出高彫象嵌色絵
- 鑑定書種別
- 保存刀装具(日本美術刀剣保存協会)
- 頭
- 34.4 ミリ
- 縁
- 38.8 ミリ
- 縁の腰高
- 14.2 ミリ