
鐔 古金工 扇子繋透
商品説明
扇の起源には様々な説があるようですが、定説といわれるほどのものはないようです。
古事記や日本書紀に「蒲葵(ほき・びろう)」という扇状の葉を持つヤシ科の植物について神聖なものとしての記載が複数あり、これが扇の原型のひとつといえるようです。
平城宮跡より檜扇と呼ばれる薄板を合わせた扇が複数出土していることもあり、遅くとも奈良時代には扇というものの存在は確立されていたと思われます。
武士の世界においても扇は古くから用いられました。源平合戦において、義経は船上にて日の丸扇をかざし平家追討を鼓舞しましたし、那須与一が扇の的を射た話はあまりにも有名です。源頼朝は藤原泰衡を成敗した際、功のあった佐竹秀義に「五本骨に月丸扇」紋を下賜しています。
徳川家康は葵紋の旗とともに金扇の大馬印を本陣の印として好んで用いましたし、扇の家紋を用いた旗本は八十余家の多きに及びました。
このように扇は単に涼をとる実用的な道具としてだけでなく、神社の御神体や神の依代としての神聖な存在であり、神事や朝廷儀式の際の威儀の具であり、能楽や茶道等の芸能における不可欠の持ち物として、様々な場面で長く日本人に親しまれてきました。
この扇透の鐔は赤銅地に鋤出彫と毛彫、魚子、金色絵によって雲・波・菱形が意匠された扇を八面繋げて形づくられています。
日本舞踊においては、扇そのものが「雲」や「波」などの自然現象を表わしますが、それらを具体的な意匠によっても扇の中に表現しています。
菱形は毒蛇に多くみられる文様であることから蛇を意味する形ともいわれています。蛇は扇の原型である前述の蒲葵とも関係が深く、蛇信仰に由来する菱形と、呪術的な意味合いを有する扇も、また不可分なものであったと思われます。
扇のことを末広と呼びますが、「八」のことも末広といい、この鐔が八枚の扇から成り立っていることに繋がります。
まことに深い意味を有し、また非常に縁起良い意匠の鐔を眺めておりますと、さらにどのような意味を持って造られたのかと、思索に限りは尽きません。
この鐔とデザインの酷似した鐔が東京国立博物館に収蔵されております。
詳細データ
- 時代
- 桃山時代
- 製作手法
- 赤銅地肉彫地透象嵌色絵
- 鑑定書種別
- 保存刀装具(日本美術刀剣保存協会)
- 縦
- 75 ミリ
- 横
- 70 ミリ
- 切羽台厚さ
- 4 ミリ